東洋的な建築としての願い

 「西洋医学」に対して「東洋医学」があるように、日本の伝統木造建築は「東洋建築」として捉えられるのではないでしょうか。

 建設に関わった全ての人と物の命の営み総体が、いかに生き生きと美しい気の流れをもって建築に結実できるかを大切に心がけたいと願います。


 家屋は、ダイナミックな自然動態の中に建つものです。風・雨・雪そして地震に耐えていかに長く、人の住まいとして建ち続けることができるか。

 その知恵が長い歴史の中で培われ、伝統木造建築として結実しています。

 地面と緊結することなく、石の上に建つ「石場建て」伝統木造の家は人体になぞらえることができるように思います。重心の位置する腰回りには大きな梁が集中し、しっかりとして復元力に富んだ下半身を構成しています。

 この自然体の中に、「東洋建築」の本質が息づいているように思えます。


民家の生命観

ツカツクリの巣 と 白川郷合掌民家(屋根葺き)
ツカツクリの巣 と 白川郷合掌民家(屋根葺き)

 ツカツクリという鳥は、産み落とした卵を自分の体温でかえすのではなく、落ち葉などで造った塚に埋め、醗酵熱を利用してヒナをかえすといいます。
 親はクチバシで頻繁に温度を計り、覆った土や葉を増減させて孵化に適した温度を保つのです。ツカツクリにとって巣は単なる住みかではなく体の一部として機能しているわけです。
 民家をながめる時、いつもこの話を思い出します。以前かかわった飛騨白川郷の合掌造り民家の調査を通して感じたことは、家は人間にとって単なるシェルターではないということです。

 民家は結(村落共同体互助組織)という社会システムと自然環境と村人が有機的な相互関係をつくりながら、職人衆との共同作業を通して生み出されます。そして家はその環境にとけこんで、人の生活とともに地域の生態系の一部に組みこまれて生きてゆくのです。ちょうどツカツクリの巣のように…


 民家を通して建築の生命とか魂(スピリット)というものを想いおこします。建築には経済、法律などの様々な制限や制約がありますが、できうるならば、近代の合理的システムの中で数値化され分断されてきた、製作プロセスや伝統の構法を、復元力に富んだ「総持ち」の、有機的な一者としてもう一度とらえなおし、建築物をトータルな意味での生態系の一部となりうるような仕事を模索したいと思います。